3年マネージャーの善波です。
もう9月ですね。
本当に夏休みはあっという間です。
少しずつ涼しくなり、過ごしやすい気候になりました。
その中で選手は充実した練習をし、オープン戦を戦っています。
そのオープン戦ですが、今夏は例年に比べてとても多い試合数をこなしています。
特にB軍戦が多く組まれており、実戦の中で結果を出した者がA軍に食い込んでチームにいい影響を与えています。
もちろんレギュラーの選手も負けていません!オープン戦でそれぞれ結果を出しています。
北海道キャンプでバットを振り込んで鍛えた打撃は、より強力なものとなっています!
いよいよ秋のリーグ戦まであと10日となりました。
秋のリーグ戦では、ラストシーズンにかける4年生のプレーにぜひ注目して頂きたいと思います!

(3年・マネージャー・善波優太/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
商学部1年、マネージャーの小幡真之です。
慶應義塾高等学校出身です。
僕は元々塾高野球部に入部した際はマネージャーではなく、選手でした。
おそらく周りから見ても呆れるほどにヘタクソでしたが、必ずや甲子園のバッターボックスに立つと信じてバットを振っていました。
しかしながら、僕が高校1年の時の2月ごろ、部の決まりとして学年内で1人マネージャーを出さなくてはならなくなり、学年内投票や監督との面接等を経て仕事道具をバットからペンに持ち替え、マネージャーとして部のバックアップに回る立場となりました。
当初から実力もなく、結果を出せなかった僕らの代はいつしか「史上最弱チーム」と言われるようになり、低迷をしておりました。しかし秋冬の厳しい練習を経て夏の県大会では準々決勝まで進み、ここまで来たら必ずや甲子園にたどり着けると思っていたところ神奈川屈指の強豪校である桐蔭学園高校に返り討ちに合い、現在チームメイトである清水翔太(1年・内野手)にとどめのタイムリーを打たれ、コールド負けしてしまいました。
負けた時は主務としてチームを支えることが出来ず、とても悔しい思いが込み上げておりましたが、一方でこのまま自分が1マネージャーとしてこの程度の人間で終わっていいのか、という自分に対する物足りなさを感じるようになりました。そして、せっかく何かの縁でマネージャーとなったのだから、次のステージに進みマネージャーとしての道を極めようと次第に考えるようになり、今年マネージャーとして大学野球の門を叩きました。
現在、入部して半年ほどが経過しましたが、今でも先輩マネージャーの仕事量に圧倒され、自分の実力のなさを日々痛感しております。しかし数年後、憧れの先輩のように仕事をきっちりとこなし、チームに大きく貢献出来るようなるべく今は自分の無力さを受け止め、しっかりと足固めをして日々成長していきたいと思います。
さて、今まで自分のマネージャー話ばかり書いていましたが、現1年は僕以外にも2人のマネージャーがいます!
1人は新入生紹介のトップバッターだった棒田と、もう1人は女子マネージャーの針原佳奈(光塩女子学院高校出身)です!
針原はどんな時でも笑顔で、誰にでも優しい癒し系です!
それでいて、頑張り屋さんで気配り上手なのでとても頼りになるマネージャーです!
3人ともまだ経験は浅いですが、これからもお互い助け合って、引退の時を迎えるまで頑張っていきたいと思います!!
最後に、僕たち1年は入部していきなり春のリーグ戦優勝という素晴らしい結果に巡り合うことが出来ました。勿論チームとして勝利できたのはとても嬉しかったですし、素晴らしい経験をさせて頂いたと思っていますが、その反面今回1年生はほとんどがチームのバックアップに回っており、神宮のグラウンドに立ち優勝を噛みしめることが出来ませんでした。次の秋のリーグ戦でもあまり出番には恵まれないかもしれませんが、1年全体でも今度は自分がチームを優勝に導くんだという強い気持ちを持ち続け、2連覇、また日本一に貢献出来るよう全力で頑張っていきたいと思います!!
長々とした文で失礼致しましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!!

(1年・マネージャー・小幡真之/慶應義塾高校出身)
はじめまして。環境情報学部1年の照屋塁です。沖縄県の沖縄尚学高校出身、ポジションは内野手です。
私は、春のリーグ戦で全試合ベンチ入りをさせていただき、いきなりリーグ優勝と、びっくりするような経験ができました。良い先輩方やチームメイトに囲まれ、本当に慶應に入って良かったと感じています。
実は高校野球を引退した直後、六大学で野球をやりたいとは思っていましたが、慶應の野球部は行きたくても行けない場所だと思い込んでいたため、選択肢として慶應をあまり考えていませんでした。しかし、せっかく大学野球をやるならば自分が一番良いと思った大学でやろうと思い、慶應を目指す事にしました。現役のときは一般入試で不合格となりましたが、一浪の末AO入試で合格をすることができました。
両親をはじめ、たくさんの方々の支えがあって今ここで野球ができていることに感謝しています。個人としてもチームとしても最高の結果を出し、両親、支えてくださっている方々、応援してくださっている方々に喜んでいただけると最高です。
応援よろしくお願いします!
(1年・内野手・照屋塁/沖縄尚学高校出身)
はじめまして。理工学部1年の福島聖仁です。 ポジションは外野です。神奈川県立横須賀高校出身で一浪の末、慶應義塾大学に合格することができました。
僕が六大学で、慶應で野球をするというきっかけになった人がいます。
まずは両親です。 父親はこの體育会野球部のOBで、母親も慶應の體育会のOGです。福島家は慶應でないとだめだというとても厳しい規則があり、少年時代からそれに苦しめられてきました。笑
父親は常々僕に大学まで野球を続けろと言い続け、母親はどうしても神宮でのユニフォーム姿が見たいと言い続けていました。 もちろん自分自身でも慶應で野球がしたいという気持ちはありましたが、圧力がそれ以上に強く、大学で野球をすることをやめようと思ったこともあります。笑また、とても厳しい家庭なので僕に要求するものが高く、入ることさえ難しい慶應に入れ、そしてその上で野球をしろというのは僕の人生の中で一番の無理難題であったと思います。
しかし、しっかりとその要求に応え、かつ自分の目標を達成し、慶應に入学できて本当によかったなと思っています。一年間浪人させてもらったおかげで今の自分があり、大きく成長することができました。本当に感謝しています。
そして、もう一人はとても尊敬している高校の先輩で、現・立教大学の井上祐太郎さん(4年・投手)です。 僕に野球の面白さと厳しさを教えてくださいました。先輩が高校3年の夏に強豪私立をあと一球まで追い詰めたことは神奈川ではとても有名です。
高校時代、僕はその背中を見て、また引退されてからも頭の中にずっと先輩の存在があり、その姿を想像して野球をしてきました。
その先輩が立教大学に入学されたということを聞いて、背中を追いかけて同じ六大学の世界にいきたいと思いました。本当に偉大な先輩で、今年の春のリーグ戦にも出場され、慶應を2回無失点に抑えるピッチングをされています。
今までは父親、井上さんにずっと圧倒され続け、背中を追いかけるだけでした。しかし、これからはその存在に打ち勝ち、越えていきます。 神宮の舞台で父親の背番号をつけて出場することを目標に、こつこつと一生懸命、溌剌とやっていきたいと思います。
ご声援の程、よろしくお願いします。
(1年・外野手・福島聖仁/横須賀高校出身)
はじめまして。
経済学部1年の山田浩太郎です。
神奈川県の湘南高校出身で、ポジションは投手です。
僕は身長が170センチで、体格が優れているわけではありません。 これに顔立ちも相まってか、同期から中学生と間違われることがしばしばあります。
こんな僕ですが、体格で負けても野球では絶対に負けたくありません。 小さくてもやれるということを、この大学生活で証明します。
そして、湘南高校の同期で投手の宮台康平が東京大学に進学しました。 宮台は春のリーグ戦で神宮デビューを果たし、先を越されてしまいましたが、必ず追いつき、神宮で投げ合いたいと思っています。
支えて頂いたすべての人々と、好きなだけ野球をやらせてもらえているこの環境に感謝して、神宮の舞台で活躍し恩返しをします。
応援よろしくお願いします。

(1年・投手・山田浩太郎/湘南高校出身)
はじめまして。
商学部1年の青山庸史です。
慶應志木高校の出身で、内野手、主にセカンドをやっています。
高校から慶應に入ったのでKEIOのユニフォームを着るのは4年目となりました。
「今まで長い歴史の中で先輩方が努力をし続けたから僕たちが今このユニフォームを着られる」という事を高校の監督から何度も言われてきました。
大学でもその言葉を忘れず、歴史のある慶應で野球ができる、ユニフォームが着られるという自覚を持ち続けて4年間プレーをしていきたいと思います。
このチームは今まで野球をやってきた中で一番人数が多く、その分色々な人との出会いの中で刺激をもらっています。さらに野球や勉学に関してとても高い能力を持っている人が沢山おり、仲間と毎日を共に過ごしながら、僕自身もっと成長していきたいと思うようになりました。
神宮球場で思いっきりプレーをしているところを皆さんにお見せできるよう、がんばります!

(1年・内野手・青山庸史/慶應志木高校出身)
はじめまして。神奈川県慶應義塾高校出身、法学部政治学科1年藤田健吾てす。
ポジションはキャッチャーです。
先日、僕の地元である群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録されました︎が、僕自身1度も行ったことがありません。今度帰省したら行ってみたいと思っています。
僕は、慶應義塾に入って野球をしたいと思った慶早戦についてお話しします。
僕が初めて慶早戦を見たのは、高校選択で悩んでいた中学3年生の時です。
「衝撃」の一言に尽きました。
ちょうどその時、斎藤佑樹投手(現・北海道日本ハムファイターズ)の最後の慶早戦、そして、50年ぶりの慶早優勝決定戦ということもあり、大変な盛り上がりでした。
試合中は鳥肌が立ち続けていました。この時の地響きのような「若き血」は今でも耳に残っています。「この舞台でプレーしたい、この大歓声の中でプレーできたらどれほど幸せなことだろう」と強く思い、慶應義塾高校へ挑戦することを決心しました。
あれから、4年・・・この舞台に立つための権利を得ました。
しかしながら、まだまだ長い道のりとなります。4年前は感動を与えられる立場でしたが、今度は僕が与える立場にならなければなりません。
あの時の「衝撃」と「憧れ」を原動力として、突き進んでいきます。
応援よろしくお願いします!!

(1年・捕手・藤田健吾/慶應義塾高校出身)
はじめまして。法学部法律学科1年の清水洋二郎です。 北海道の函館ラ・サール高校出身でポジションは投手です。
生まれも育ちも函館で、父・兄の影響を受けて小学校3年生から野球を始めました。そして、中学は函館ラ・サール中学へ進学しました。ラ・サールは中高一貫の進学校で、野球はあまり強くなく、練習環境も他校に比べるとあまりよくないうえに、一つのグランドを中学・高校硬式・高校軟式の3チームで共有しなければならなかったので、工夫して練習をしないと上達は難しいものがありました。しかし、そこでチームを強くし、強豪と呼ばれるチームに勝ちたいと思い、6年間ラ・サールで野球に打ち込みました。仲間にも恵まれ、目標の甲子園出場にはあと一歩のところで届きませんでしたが、実力も上がってきて、今では野球も勉強も頑張りたいという後輩が多く入ってきてくれています。 そして、昔から慶早戦で投げることに憧れを抱いていたので、慶應へ進学するためにコツコツ勉強しました。神宮球場では「函館ラ・サール高校」とアナウンスをされたことはないので、早く試合に出られるよう頑張りたいと思います。また、ここまで野球を続けてこられたのは、家族の支えや、ご指導していただいた方々、チームメイトなど、周りの人の支えがあったからです。その感謝の思いを忘れずに、日々の練習に励んでいきたいと思います。応援よろしくお願いします。
(1年・投手・清水洋二郎/函館ラ・サール高校出身)
はじめまして。
総合政策学部1年の上田颯太です。
ポジションは外野手です。
僕の出身校は奈良県の郡山高校です。
一般入試で慶應義塾大学に入学させて頂きました。
僕は高校では3年間野球に没頭していて、勉強は全くしていませんでした。
そのため慶應義塾大学に入学出来る程の学力は全く無く、憧れの大学ではありましたが正直自分が通えるような大学では無いと思っていました。
しかし僕が高校3年生の時に、郡山高校の先輩であり、現在副将を務めていらっしゃる藤井健友さん(4年・捕手)が慶應義塾大学野球部の魅力や勉強法をアドバイスして下さり、僕も慶應義塾大学で野球をしたいと思うようになりました。
夏の県大会が終わってから「慶應義塾大学で野球をするんや」という思いを持って必死に勉強してきた結果、夏の時点で偏差値35だった僕が現役で慶應義塾大学に入学する事ができました。
今後の目標は、野球部に貢献出来る選手になることです。
いや、ならんとあかんのです。
必死のパッチで頑張ります。
このような面白みの無い文章になってしまいましたが、どうぞよろしくお願い致します。

(1年・外野手・上田颯太/郡山高校出身)
こんにちは。
法学部政治学科1年の本岡幸太郎です。
ポジションはショートで、普通部から慶應義塾に属している、いわゆる内々部です。
僕が小学校6年の時に慶應義塾普通部に行きたいと思った理由は、家が近所ということと、慶應義塾大学のグラウンドを見に来た時に直感的に「ここで将来野球がしたい!」と強く思ったからです。
高校野球が終わった時は燃え尽きてそんなことも忘れ、もう野球はいいかなと考えていました。しかし、少し考えて小学校の頃の気持ちを思い出し、「あのグラウンドで野球ができるチャンスが目の前にあるのに逃すのは一生後悔する」と思い、もう一回夢を追うことにしました。
そして、このグラウンドで野球をする目標が達成できた今、神宮でプレーをし優勝するという夢も手の届くところに来ていると思います。
普通部、塾高時代の怪我などで目立った活躍もできなかった悔しさと、今まで野球をしてきた仲間・僕を支えてくれた人全ての人に感謝し恩返しをする一心で、我武者羅に自分らしく頑張ります。
応援よろしくお願いします!

(1年・内野手・本岡幸太郎/慶應義塾高校出身)