東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

はじめまして。神奈川県慶應義塾高校出身、法学部政治学科1年藤田健吾てす。
ポジションはキャッチャーです。
先日、僕の地元である群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録されました︎が、僕自身1度も行ったことがありません。今度帰省したら行ってみたいと思っています。

僕は、慶應義塾に入って野球をしたいと思った慶早戦についてお話しします。
僕が初めて慶早戦を見たのは、高校選択で悩んでいた中学3年生の時です。
「衝撃」の一言に尽きました。
ちょうどその時、斎藤佑樹投手(現・北海道日本ハムファイターズ)の最後の慶早戦、そして、50年ぶりの慶早優勝決定戦ということもあり、大変な盛り上がりでした。
試合中は鳥肌が立ち続けていました。この時の地響きのような「若き血」は今でも耳に残っています。「この舞台でプレーしたい、この大歓声の中でプレーできたらどれほど幸せなことだろう」と強く思い、慶應義塾高校へ挑戦することを決心しました。

あれから、4年・・・この舞台に立つための権利を得ました。
しかしながら、まだまだ長い道のりとなります。4年前は感動を与えられる立場でしたが、今度は僕が与える立場にならなければなりません。
あの時の「衝撃」と「憧れ」を原動力として、突き進んでいきます。
応援よろしくお願いします!!


藤田健吾

(1年・捕手・藤田健吾/慶應義塾高校出身)

はじめまして。
法学部法律学科1年の清水洋二郎です。
北海道の函館ラ・サール高校出身でポジションは投手です。

生まれも育ちも函館で、父・兄の影響を受けて小学校3年生から野球を始めました。
そして、中学は函館ラ・サール中学へ進学しました。
ラ・サールは中高一貫の進学校で、野球はあまり強くなく、練習環境も他校に比べるとあまりよくないうえに、一つのグランドを中学・高校硬式・高校軟式の3チームで共有しなければならなかったので、工夫して練習をしないと上達は難しいものがありました。

しかし、そこでチームを強くし、強豪と呼ばれるチームに勝ちたいと思い、6年間ラ・サールで野球に打ち込みました。
仲間にも恵まれ、目標の甲子園出場にはあと一歩のところで届きませんでしたが、実力も上がってきて、今では野球も勉強も頑張りたいという後輩が多く入ってきてくれています。

そして、昔から慶早戦で投げることに憧れを抱いていたので、慶應へ進学するためにコツコツ勉強しました。
神宮球場では「函館ラ・サール高校」とアナウンスをされたことはないので、早く試合に出られるよう頑張りたいと思います。

また、ここまで野球を続けてこられたのは、家族の支えや、ご指導していただいた方々、チームメイトなど、周りの人の支えがあったからです。
その感謝の思いを忘れずに、日々の練習に励んでいきたいと思います。
応援よろしくお願いします。


清水洋二郎

(1年・投手・清水洋二郎/函館ラ・サール高校出身)

はじめまして。

総合政策学部1年の上田颯太です。

ポジションは外野手です。

 

僕の出身校は奈良県の郡山高校です。

一般入試で慶應義塾大学に入学させて頂きました。


僕は高校では3年間野球に没頭していて、勉強は全くしていませんでした。

そのため慶應義塾大学に入学出来る程の学力は全く無く、憧れの大学ではありましたが正直自分が通えるような大学では無いと思っていました。

しかし僕が高校3年生の時に、郡山高校の先輩であり、現在副将を務めていらっしゃる藤井健友さん(4年・捕手)が慶應義塾大学野球部の魅力や勉強法をアドバイスして下さり、僕も慶應義塾大学で野球をしたいと思うようになりました。

 

夏の県大会が終わってから「慶應義塾大学で野球をするんや」という思いを持って必死に勉強してきた結果、夏の時点で偏差値35だった僕が現役で慶應義塾大学に入学する事ができました。

 

今後の目標は、野球部に貢献出来る選手になることです。

いや、ならんとあかんのです。

必死のパッチで頑張ります。


このような面白みの無い文章になってしまいましたが、どうぞよろしくお願い致します。

 

上田颯太

 

(1年・外野手・上田颯太/郡山高校出身)