はじめまして。 環境情報学部1年の村山広樹です。
慶應義塾高校出身で、ポジションはキャッチャーです。
僕は兄の影響で小学1年から地元の軟式野球を始めました。 それからもう野球を始めて13年が経ちました。 小・中ではあまり目立った選手ではなかったので、高校受験をして慶應義塾に入りました。
高校時代も思うように結果が出ず、夏の大会でベンチ入りを逃し、とても悔しい思いをしました。
この悔しさが大学野球を続けようという気持ちを後押ししてくれました。
大学野球は今までの野球人生の集大成です。
レギュラーの座を勝ち取り、神宮で活躍してこれまでにお世話になった両親や指導者や支えてくれた周りの人々に恩返しします。
僕の座右の銘は「挑戦者」です。
常にチャレンジャーの気持ちを忘れず、貪欲に努力していきたいです。
感謝の気持ちを忘れず、4年間完全燃焼します。
神宮で大暴れします。応援よろしくお願いします。

(1年・捕手・村山広樹/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
商学部1年の藁科航です。
ポジションは投手です。
野球を始めたのは父親の影響で、保育園の頃からボールとバットを持っていたほど昔から野球に染まった生活をしていました。
僕は慶應湘南藤沢高校の出身なのですが、一昨年、昨年と湘南藤沢からは1人も大学野球部には入っておらず現在4年生3人と全員で4人しか所属していません。
内部進学にも関わらず先輩が少ないということで正直寂しい気持ちもあります。
ですが、他校出身の温かい先輩方のおかげで、また多くのライバルのおかげで楽しく充実した野球生活を送ることができています。
僕自身、高校時代は先発として3年間投げさせていただいたにも関わらず、高校3年の夏しか勝利を掴むことができませんでした。高校では不完全燃焼で終わってしまったので、大学では中心選手としてリーグ戦に出場し、完全燃焼できるように頑張ります。
どうぞ応援よろしくお願いします!

(1年・投手・藁科航/慶應湘南藤沢高校出身)
はじめまして。
商学部1年の木下拓万です。
徳島県の城南高校出身でポジションは内野手です!
僕は小・中と地元の軟式チームでプレーし、高校は県内有数の進学校である城南高校に入学しました。
城南高校では、“人間力”をモットーに野球の技術だけでなく、人としての礼儀やマナーを身につけることが出来ました。また、小・中・高と三度も主将を務めたことが僕を大きく成長させてくれました。
高校野球が終わってからもより高いレベルで野球がしたいと思い慶應の門を叩きました!
厳しい環境の中で野球漬けの日々ですが、慶應義塾大学野球部で野球が出来ることを本当に感謝しています。
今後も努力を惜しまず、今まで支えてくださった方々にプレーで恩返しが出来るよう精一杯頑張ります!!
応援よろしくお願いします!

(1年・内野手・木下拓万/城南高校出身)
はじめまして。
環境情報学部1年森下貴裕です。
高知県の土佐高校出身で、ポジションは外野手です。
僕は昨春の選抜に21世紀枠で甲子園に出場することができました。結果は一回戦敗退でしたが、あの歓声の中で野球ができたことが大変嬉しかったです。
もう一度あの歓声の中で野球がしたいと思い懸命に練習し汗を流しましたが、夏の甲子園には出場することが出来ず、悔しい思いをしたのを今でも覚えています。
慶應義塾大学で野球がしたいと思っていたのは中学生の時からでしたが、高校三年の夏に悔しい思いをしたのもあり、より一層その気持ちが強くなり慶應義塾大学を受験し見事に一発で合格することができました。
土佐高校は慶應義塾大学に幾多もの先輩を輩出しています。そして多くの先輩方が神宮で活躍されてきました。僕もその一員になれるように頑張りますので、応援のほどどうぞよろしくお願いします。
この環境で野球ができることに感謝して最高の恩返しとして日本一を掴み取るように頑張ります。

(1年・外野手・森下貴裕/土佐高校出身)
はじめまして。
法学部政治学科1年の川端康司です。
埼玉県の慶應義塾志木高校出身で、ポジションはファーストです。
僕は高校時代、怪我に悩まされた3年間を過ごしました。
まず最初の怪我との出会いは1年の秋。ピッチャーとして入部した僕は何を練習すれば良いか分からず、走り込みばかり行い、気づくと足を疲労骨折。
野手になった高2の春には、デッドボールが当たり、指を開放骨折。その夏、なんとか指の骨折の回復が間に合ったと思えば足の疲労骨折。
そのまま秋の大会も棒に振り、意気込んで臨んだ高3の春も、今度は逆の足を疲労骨折してしまいました。
結局最後の大会だけ出場することができましたが、満足のいく結果は残せず、悔しい思いをしました。
そこで、この悔しさを晴らすために大学でも野球をやろうと決意しました。
しかし、ただ漠然とがむしゃらにやっていてもまた怪我を繰り返してしまい、また後悔の残る野球生活になってしまいます。大学では、高校に比べ自由に使える時間が多いので、体のケアを日々行い、神宮で活躍できるよう努力していきたいと思います。
最後に、僕の出身校である慶應義塾志木高校は、ことあるごとに「これだから志木高は…」と、バカにされがちです。
そんなことに僕はめげず、同じ志木高出身の青山(1年・内野手)と共にプレーで見返してやりたいと思います。特に塾高には負けません!
応援よろしくお願いします!

(1年・内野手・川端康司/慶應志木高校出身)
はじめまして。
法学部法律学科1年の村山頌祝です。
埼玉県私立西武台高校出身で、ポジションは外野です。
僕は小さい頃から東京六大学で野球をするのが夢でした。しかし、高校時代は野球一筋で勉強はほとんどしたことがなく、二浪の末に立教大学に入学しましたが、そこでは申し込み期限の関係で野球部に入ることができませんでした。野球をするために受験勉強を頑張ってきたので、野球を簡単に諦めることはできず、そこから仮面浪人をして慶應大学に入学しました。なので実質三浪です。
さて、今回は僕の母校、西武台高校を紹介させてください。
このブログを読む方々にとっては、埼玉県の西武台高校と言われても特にピンとこないかもしれません。むしろ西武台と聞いて西武台千葉の方を思い付く人の方が多いと思います。しかし、野球部以外の部活には全国区のものが多くあります。特にサッカー部は、サッカー王国埼玉で毎年優勝候補に上がるほど強いです。
一昔前には野球部も甲子園に出場したことがあるそうですが、ここ最近は予選敗退に甘んじています。後輩達には、僕も出場叶わなかった甲子園に是非行ってもらい、西武台高校野球部を全国区にしてもらいたいものです。
他力本願だけではいられないので、後輩達に刺激を与えるため僕も神宮の舞台に立てるように頑張ります!

(1年・外野手・村山頌祝/西武台高校出身)
こんにちは。
総合政策学部1年の土屋祐人です。
僕が大学で野球を続けようと思った一番のきっかけは祖父にあると思います。
小さい頃から「祐人は六大学で野球をやるんだ」と、言われ続けてきました。子守唄には『若き血』を歌っていたそうです。逆効果の気もしますが(笑)
そこまでされて、慶應で野球をやらないわけにはいきません。
両親も僕が思いっきり野球ができるようにずっと支えてくれています。今まで好き勝手に野球をやらせてくれている両親には、本当に感謝しています。
大学の受験校を決める際に、まず野球ができるところを優先してくれたことには正直驚きました。このように書くと野球をやらされているように思われるかもしれませんが、少しそうなのかもしれません(笑)
しかし、僕は自分のためより、誰かのためを思ってやる方が本気になれるタイプなのだと思っています。野球をやめようと思った時、支えてくれている方々のことを思い出し、何度やる気をもらったかわかりません。
慶應野球部という、最高の場で野球をする機会を与えてもらったので、あとは僕がやるかどうかです。
家族、高校の監督、野球仲間、その他僕の野球を応援してくださっている多くの方々が、いつか僕のプレーを見に、神宮に足を運んでくださる日を夢見て、ひたむきに野球に取り組んでいこうと思います。応援よろしくお願いいたします。

(1年・内野手・土屋祐人/韮山高校出身)
はじめまして。環境情報学部1年の天野康大です。
和歌山県の智辯和歌山高校出身で、ポジションはライトです。
私は、幼い頃から「慶應義塾」という歴史ある学校に憧れを抱いていました。また、中学(和歌山シニア)時代の先輩であり、兄貴のような存在だった藤本知輝さん(4年・外野手/慶應義塾高校出身)の影響もあって慶應義塾高校への進学も考えました。
しかし、15歳の私には和歌山を離れる勇気がなく、地元の智辯和歌山高校への入学を決心しました。
高校時代には、主将を務め、厳しさでは日本で3本の指に入る練習を乗り越えてきました。そのお陰で、甲子園を経験することが出来ました。
しかし、最後の夏は予選敗退で終わりました。私は、天国も地獄も味わいました。これらの様々な経験が、きっと今の私の強みとなっています。
高校野球では完全燃焼できなかったため、次は大学野球のステージで高いところを目指したいと思いました。そこで、慶應義塾大学への進学を第一に考えました。そして、苦しい面接練習を乗り越え、無事合格することが出来ました。
あの合格通知を見たときの感動は今も忘れられません!!!
次は私が感動を与える立場となり、家族や今まで携わってきた方々に恩返しできるよう、頑張っていきます!
こんな不器用な私ですが、これからもご声援よろしくお願いします。

(1年・外野手・天野康大/智辯和歌山高校出身)
はじめまして。総合政策学部1年の加藤寛隆です。
出身校は慶應義塾高校で、ポジションは内野手です。
私は慶應義塾高校のエンジョイベースボールという、他の高校とは違う環境での高校野球生活に憧れ、一般受験で入学しました。
小学生の頃から硬式野球をしていた影響で、高校野球という3年間の限られた野球生活に多くの夢を抱き野球部に入部しました。
そんな中、入学とほぼ同時期に脚に腫瘍が見つかりました。その腫瘍の切除手術を受け、プレー復帰に向け1年半近い時間をリハビリで過ごすこととなってしまいました。
しかし、入部から1年半の間、何もプレーできない辛さや歯痒さが残りの高校野球生活を送る上での糧となったように思えます。
最後の夏に向け追い込みが始まった頃、また怪我という悪夢が私に襲いかかりました。
練習試合中に、右肘の靭帯を断裂してしまったのです。最後の夏の大会は怪我を患いながらもなんとか出場することができましたが、悔いが残っています。
高校3年間病気や怪我に左右されて思うようにプレーができず、その悔しさが大学野球でプレーしたいという原動力のひとつとなっています。
現在も、右肘のリハビリでプレーすることができていません。スタート地点は他のチームメイトよりは遅れてしまっていますが、神宮でプレーできるように頑張ります。
応援よろしくお願いします!

(1年・内野手・加藤寛隆/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
環境情報学部1年の境雄大です。
佐賀県の早稲田佐賀高校出身で、ポジションは投手です。
まず、みなさまは「なぜ早稲田の系属校出身者が慶應に」と思われることでしょう。
それは現役の頃、学力が足りずに早稲田大学へ内部進学できなかったことから始まります。そこで僕は、早稲田に入れてもらえないのならその上の慶應に入ってみせる、との思いで1年間浪人しました。
高校時代はほとんど勉強をしていなかったため、浪人中の勉強は高校1年生の内容からでした。1日12時間以上の勉強を課題とし、毎日のランニングと週に1度のウエイトトレーニングは欠かしませんでした。その結果、慶應義塾大学に合格することができました。
早稲田に行けず、浪人まで許してくれた両親には本当に感謝しています。
僕の目標は、神宮の舞台に立ち、この手で早稲田に勝つことです。
神宮に早稲田佐賀のアナウンスを響かせて球場をどよめかせ、慶應に勝利をもたらします。
そのためには、この素晴らしい環境で野球をやらせてもらっていることに感謝し、
1日1日の練習を大切にしていきたいと思います。
ご声援よろしくお願いします。

(1年・投手・境雄大/早稲田佐賀高校出身)