はじめまして。商学部1年の藤川尭史です。
神奈川県の慶應義塾高校出身で、ポジションは外野です。
高校は塾高ですが、中学まで大阪に住んでいました。
中学時代は大阪の堺ビックボーイズというチームに所属していました。
そこで投手として全国大会準優勝を達成しました。
そして慶應義塾高校に入学して投手として頑張っていましたが、実力が足りず、途中で外野手に転向しました。
そこから一生懸命練習し、2年生の秋に4番を打つことができましたが、春の大会から調子を崩し夏の大会にベンチ入り出来ませんでした。
その時はものすごく落ち込み、数日間寝られませんでした。
しかし、高校で活躍できなかった分大学で頑張ろうと決意しました。
下克上の精神で頑張りたいと思います。

(1年・外野手・藤川尭史/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
総合政策学部1年の清水翔太です。
神奈川県の桐蔭学園高校出身で、ポジションはファーストです。
中学時代は神奈川県の某名門シニアで主軸を張ってはいたものの、史上最弱と言われており、最後の夏も2回戦でコールド負けをしました。
そんな中学時代でしたが、あれよあれよと強豪校の桐蔭学園高校へ入学しました(今思えばなぜ入れたのでしょうか…)
桐蔭学園高校は、県内では野球で有名ですが、スクールライフに関してもある意味有名かもしれません。
男女別学で高校3年生から授業だけ一緒という意味の分からないシステム。
高1、高2と男子だけのクラスで過ごし、やっと女子と一緒になれた!と思いきや、授業の席が分かれていたり、ホームルームや体育祭も時間帯が違ったり…
ましてや野球部は携帯禁止だったので、TwitterやFacebookなどSNSも当然やっていませんでした。
そのため、どうにもこうにも女子との接点を作り出せず……
何とも言えないつまらなさの中、青春が過ぎていきました(泣)
大学では、そのうっぷんを晴らすべく「モテモテの慶應ボーイ」になるために慶應を目指しました!(というのは嘘ですが……)
本当は、中学校・高校と継続して頑張ってきた「文武両道」を極めるために、そして、大学野球の聖地「神宮」で主軸としてプレーし、リーグ戦・慶早戦を沸かせるために、慶應義塾大学を目指しました。
高校での辛い練習、ランニング(2月の一番寒い時期に裸足で走ること(笑))など、青春を捨てて3年間野球に打ち込んで培った精神力、我慢強さでは誰にも負けない自信があります!
もちろん野球の実力も、持ち味のバッティングを生かし、チームの目指す”リーグ優勝・全国制覇”に貢献できるよう頑張っていきます!
下級生らしくフレッシュさを出して慶應に新たな風を吹き込みたいと思います!
また、僕の名前はあの有名な歌手の「清水翔太」さんと同姓同名です!
覚えやすい名前だと思いますので、早く覚えていただけたら嬉しいです(笑)
応援よろしくお願いします!!

(1年・内野手・清水翔太/桐蔭学園高校出身)
はじめまして。
商学部1年の亀井倫太朗です。
慶應義塾高校出身で、ポジションはピッチャーです。
塾高入学当初は上投げで130kmも出るか怪しいダメダメのピッチャーでした。
1年生の冬、上田監督の「ちょっと横から放ってみぃ」の一言で僕の人生が変わりました。サイドスローに転向して球も速くなり、球種も倍に増えました。
3年生の春・夏はエースとして全国一の激戦区神奈川で、たくさんの強豪校と戦ったことは良い思い出です。
現在この野球部で大活躍中の、直属の先輩である150kmの球を投げる加藤拓也さん(2年・投手)も塾高時代、キャッチャーからピッチャーに転向したという経歴をお持ちです。
上田監督の一番の選手育成が、「加藤さんのピッチャー転向」ではなく、「亀井のサイドスロー転向」だと言われるように、これからも精一杯練習してリーグ戦で活躍したいと思います。
応援よろしくお願いします!

(1年・投手・亀井倫太朗/慶應義塾高校出身)
はじめまして。総合政策学部1年の佐村徳人です。
岐阜県立岐阜高校出身で、ポジションはショートです。
岐阜高OBである、慶應野球部の方に声をかけていただき、慶應への進学を目標として勉強に取り組み、入学することができました。
中学、高校と決して強豪チームの中でやってきたのではないのですが、慶應でもレギュラーを目指してやっていきます。
意識高く練習に取り組む仲間と共に、素晴らしい環境で練習できること、そして色々と迷惑をかけている両親への感謝を忘れないようにしたいです。
応援よろしくお願いします。

(1年・内野手・佐村徳人/岐阜高校出身)
はじめまして。法学部政治学科1年の田村将梧です。
慶應義塾高校出身で、ポジションは投手です。
小学校1年の時に父と初めてキャッチボールをしたのがきっかけで野球を始め、小学2年生のときからこれまでピッチャー一筋です。
慶應の野球~Enjoy Baseball~に憧れて慶應中等部に入学しました。
毎年数少ない内部軟式進学組の一人として頑張りたいと思います。
また、塾高では2年秋時に背番号1を任されるものの、怪我などで調子を崩し、3年春はメンバー外になりました。3年夏に再びメンバーに復帰をすることができましたが、淵野辺戦に先発したのを最後に肘を怪我をしてしまいました。その時にプレイヤー引退を考えましたが、後悔したくないという想いと両親への恩返しのために大学野球への挑戦を決めました。
肘の手術のため出遅れましたが、六大学野球の舞台神宮でマウンドに立てるよう頑張りたいと思います!
応援をよろしくお願いします!

(1年・投手・田村将梧/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
理工学部1年の伊藤光心です。
三重県の四日市高校出身で、ポジションは外野手です。
僕は野球が好きではありませんでした。
兄の影響で小学2年生から地元のクラブチームで野球を始め、中学3年生までそのチームで厳しい練習をしてきました。その間、家では父に無理矢理練習をさせられ、試合で結果が出なかった時は怒られていました。
高校へ進学してからは文武両道を実践し、甲子園を目指して充実した生活を送っていましたが、野球は好きになれず、野球をしなければいけないという使命感で野球を続けてきました。そのため、大学で野球をするか悩みましたが、まだまだ自分はやれるのではないかという思いがあり、野球を続けることを決め慶應義塾大学へ進学しました。
そして今、慶應義塾大学体育会野球部の一員として日々過ごしていると、思う存分練習が出来る環境、切磋琢磨し合える仲間、神宮球場という憧れの舞台のおかげで、あれほど嫌いだった練習も今は毎日しないと不安になるほどになりました。
今なら言えます。
僕は野球が大好きです。
これほど好きになれた野球を与えてくれ、今までサポートしてくださった方々に感謝しています。
この感謝の気持ちを忘れず、僕が神宮球場の舞台に立ち、活躍することが恩返しになると信じて日々精進します。
応援をよろしくお願いします!

(1年・外野手・伊藤光心/四日市高校出身)
はじめまして。商学部1年の前川泰佑です。
慶應義塾高等学校出身で、ポジションは内野手をしています。
僕は中学から、同期の田村将梧(1年・投手)とともに中等部生として慶應の門を叩きました。
彼とは主将とエースという関係でチームを支えた仲です。
中等部を卒業してから塾高で野球を続けました。
塾高時代は数回メンバーに選ばれたものの、最後の一年間をほとんどケガ人として過ごし、不完全燃焼で高校野球を終えてしまいました。
最後の夏の大会で同期の田村がマウンドで投げるのをスタンドで見ていて、悔しい思いをしたのを忘れません。
そんな思いを胸に、大学で輝ける舞台を求めてこの野球部に入りました。
ケガをしている間にお世話になった、両親、病院の先生、塾高の先生方、友達への恩返しとして、神宮の華やかな応援合戦の中で活躍するのを目標に日々努力しています!
それでは、この文章を読んでくださったみなさん、応援をよろしくお願いいたします!!

(1年・内野手・前川泰佑/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
法学部政治学科1年の明渡稜(あけど りょう)です。
和歌山県の桐蔭高校出身でポジションはキャッチャーです。
僕は2浪の末慶應義塾大学に入学し、
また慶應野球部の一員になるのに5年の月日を費やしました。
その経緯を少しお話しします。
初めて慶應義塾で野球がしたいと思ったのは中学3年生、和歌山シニアに所属していたころでした。
推薦入試を受けたものの不合格。
その後一時は慶應義塾を諦めましたが、高3の夏に参加した慶應義塾大学の練習会で目が覚めました。
成績などの面から色々な人に反対もされましたが、再び慶應義塾へのチャレンジを決意しました。
現役では手も足も出ず不合格。
そして1浪生活を真面目に送り、自信満々で受験。
まさかの全敗でした。
そのときはなんの感情もなく、”無の境地”でありました。
そんなこんなで2浪の末、晴れて慶應義塾の塾生になることができました。
いまだに実践感覚は取り戻せていませんが、物は考えようであります。
事実、僕はこの2年半をブランクだとは捉えておりません。
ちなみに桐蔭高校野球部(大阪桐蔭ではありません。桐蔭学園ではありません。)からの慶應義塾大学體育会野球部の進学は約30年ぶりだそうです。
ですから和歌山桐蔭の応援をしてくださるOBの期待を背負い、神宮の電光掲示板に『明渡稜(桐蔭高校)』の文字をいち早く輝かせるべく踏ん張りたいと思います。
よろしくお願い致します。

(1年・捕手・明渡稜/桐蔭高校出身)
はじめまして。
総合政策学部1年石井康平です。
ポジションはファーストです。
僕の出身校は神奈川の鎌倉学園高校です。
慶應義塾大学野球部ファンの方々は「鎌倉学園」と聞けば、まず副将を務められていた、影山史貴さん(H23卒)を思い出されるかと思います。他に鎌倉学園から入部された方々には、主務を務められていた石井新さん(H25卒)や、現在DeNAベイスターズで活躍されている長田秀一郎さん(H15卒)などがいらっしゃいます。
僕が慶應義塾大学で野球をやろうと思ったきっかけは、高3の夏です。
第3シードで大会に挑みベスト8までは安泰と思っていましたが、気持ちとは裏腹に初戦で散ってしまいました。
4番を託されたにも関わらず、何もできなかった自分に対する苛立ちと、全国の鎌倉学園ファンに対する申し訳なさで気持ちがいっぱいになりました。
「自分はこんなもんじゃない 」「まだやれた」このような想いがこみあげてきて、もう一度大学で野球をして、自分の野球の限界を知りたい!と思ったのがきっかけです。
いつか必ず神宮球場に立って 「鎌倉学園高校」というアナウンスを球場に響かせることが 僕の目標です。
その日まで応援よろしくお願いいたします。
(また鎌倉学園の応援もよろしくお願いいたします笑)

(1年・内野手・石井康平/鎌倉学園高校出身)
はじめまして。
文学部1年の横山拓未です。
慶應ニューヨーク学院高校出身で、ポジションは投手です。
野球は小学生の頃に兄や地元の友達の影響で始めることになりました。
今までの野球人生で厳しいレギュラー争いをしたことがなく、
今のこの慶應義塾大学野球部という環境がすごく新鮮で楽しめています。
しかし、この環境に満足するだけでなく、この野球部に入らせてくれた親や、
大事なきっかけを与えてくれた兄のためにも必ず神宮で投げたいです。
応援よろしくお願いします。

(1年・投手・横山拓未/慶應NY学院高校出身)