はじめまして。総合政策学部1年の加藤寛隆です。
出身校は慶應義塾高校で、ポジションは内野手です。
私は慶應義塾高校のエンジョイベースボールという、他の高校とは違う環境での高校野球生活に憧れ、一般受験で入学しました。
小学生の頃から硬式野球をしていた影響で、高校野球という3年間の限られた野球生活に多くの夢を抱き野球部に入部しました。
そんな中、入学とほぼ同時期に脚に腫瘍が見つかりました。その腫瘍の切除手術を受け、プレー復帰に向け1年半近い時間をリハビリで過ごすこととなってしまいました。
しかし、入部から1年半の間、何もプレーできない辛さや歯痒さが残りの高校野球生活を送る上での糧となったように思えます。
最後の夏に向け追い込みが始まった頃、また怪我という悪夢が私に襲いかかりました。
練習試合中に、右肘の靭帯を断裂してしまったのです。最後の夏の大会は怪我を患いながらもなんとか出場することができましたが、悔いが残っています。
高校3年間病気や怪我に左右されて思うようにプレーができず、その悔しさが大学野球でプレーしたいという原動力のひとつとなっています。
現在も、右肘のリハビリでプレーすることができていません。スタート地点は他のチームメイトよりは遅れてしまっていますが、神宮でプレーできるように頑張ります。
応援よろしくお願いします!
(1年・内野手・加藤寛隆/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
環境情報学部1年の境雄大です。
佐賀県の早稲田佐賀高校出身で、ポジションは投手です。
まず、みなさまは「なぜ早稲田の系属校出身者が慶應に」と思われることでしょう。
それは現役の頃、学力が足りずに早稲田大学へ内部進学できなかったことから始まります。そこで僕は、早稲田に入れてもらえないのならその上の慶應に入ってみせる、との思いで1年間浪人しました。
高校時代はほとんど勉強をしていなかったため、浪人中の勉強は高校1年生の内容からでした。1日12時間以上の勉強を課題とし、毎日のランニングと週に1度のウエイトトレーニングは欠かしませんでした。その結果、慶應義塾大学に合格することができました。
早稲田に行けず、浪人まで許してくれた両親には本当に感謝しています。
僕の目標は、神宮の舞台に立ち、この手で早稲田に勝つことです。
神宮に早稲田佐賀のアナウンスを響かせて球場をどよめかせ、慶應に勝利をもたらします。
そのためには、この素晴らしい環境で野球をやらせてもらっていることに感謝し、
1日1日の練習を大切にしていきたいと思います。
ご声援よろしくお願いします。
(1年・投手・境雄大/早稲田佐賀高校出身)
はじめまして。商学部1年の山本遼です。
神奈川県の慶應義塾高校出身でポジションは外野手です。
僕は慶應義塾幼稚舎に入学して内部進学で上がってきました。
小幡(マネージャー/慶應義塾高校出身)とは6年間同じクラスでした(笑)
小学1年生の時に初めて慶早戦を観に行きました。プロ野球でないにもかかわらず、たくさんのお客さんが入っていることに驚き、野球に興味を持ちました。
そして、4年生の時に塾高野球部が甲子園でベスト8に入ったのを見て、ゆくゆくは僕も甲子園や神宮の舞台に立ちたいと思いました。
その夢を実現させるために中学生の時に世田谷西シニアというチームに入りました。
ここが僕の野球、人間としての原点です。とにかく辛かったです。
しかし、その経験が今でも生かされていると思います。
今まで沢山の人に支えられて生きてきました。
慶應に入って最高の友達を持てて幸せだなと、改めて実感しています。
その仲間に神宮で活躍している姿を見せることが恩返しだと思っています。
どんな時でも明るくチームに活気を与えて僕自身も神宮に立てるように頑張ります!
(1年・外野手・山本遼/慶應義塾高校出身)